2005年 07月 26日
美味!長崎チャンポン たなべ (名古屋・錦3丁目) |
名古屋・テレビ塔の西側に、錦(にしき)3丁目という地域がある。通称を「錦三(きんさん)」といい、名古屋最大の歓楽街である。錦3丁目には、いわゆる「雑居ビル」、「テナントビル」と呼ばれる縦長のビルがあまた建ち並び、夜が早いといわれる名古屋の中では例外的な不夜城的都市景観を作り出している。東京でいえば新宿歌舞伎町に相当するだろうか。

錦3丁目は、名古屋の夜の社交スポットなどと呼ばれ、アルコールを飲んで遊ぶことに関しては万全の地域であり、子供の教育上よろしくない、ありとあらゆる種類の店が並んでいる。アルコールを提供する店だけでも、バー、スナック、クラブ、パブ、キャバクラ、居酒屋、小料理屋、割烹、料亭など、分類すること自体が無意味なほど雑多な店がひしめきあっている。名古屋の九龍砦的存在であり、聞いたこともないような雑居ビルでも、タクシーに乗り、名前を出せば必ずや連れて行ってくれるという伏魔殿である。
おじさんは、350mlの缶ビールが飲み干せない完璧な下戸であるが、それでも会社員時代は時々錦3丁目に出かけた。アルコールを受け付けない体質ではあるが、酒を飲んで馬鹿騒ぎをするのは好きなのである。しかし、会社を辞めてからは、夜、錦3丁目に出かけることはほとんどなくなってしまった。そのかわり、昼間に訪れることが増えた。錦3丁目には、アルコールばかりでなく、色々な美味しい食べ物を売る店が集まっているのだ。
錦3丁目の料理店は夜だけの店も多いが、昼間から営業している店も少なくない。名古屋コーチン料理、味噌煮込、あんかけスパゲッティ、中華料理など、様々な美味しいものが日中から食べられる。麺類も例外ではなく、ラーメン、うどん、きしめんなど何でもある。全国各地の有名ラーメン屋7店が集まるフードテーマパーク、"名古屋麺屋横丁"もある。
そうした中、麺類店としては、おじさんが最も愛好しているのが、本格派長崎チャンポンの店、"たなべ"である。住所は"名古屋市中区錦3-18-9"、あんかけスパゲッティの老舗、「ヨコイ」の斜め向かいである。
おじさんは、このあたりに来ると、「ヨコイ」であんかけスパゲッティを食べるか、「たなべ」で長崎チャンポンを食べるか、いつも迷う。迷った末、2:8の割合で長崎チャンポンを食べる方が多い。あんかけスパゲッティは他の場所でも食べられるが、美味い長崎チャンポンは「たなべ」でしか食べられないからである。
「たなべ」は間口2間ほどの小さな店であるが、いつもよく繁盛している。おじさんが社会人になった1980年には、すでにこの場所にあったから、少なくとも25年は営業していることになる。ビルが建て替えられる前は、もっと汚く、もっと美味そうな小さな店であった。この25年間、味はまったく変わらず、名古屋では最も美味しい長崎チャンポンを食べさせてくれる店だと思う。
「たなべ」を訪れたのは昼間が多かったが、夜もよく行った。飲んだ後、小腹が空いたときなど、ラーメンを食べるのは誰しもやることと思うが、場所が場所だけに、「たなべ」の立地は抜群であった。深夜2時まで営業しているから、飲んだ後の店としては最適だったのである。食べ物をほとんど摂らず、飲む一方のアル中でも、たなべの長崎チャンポンは好物という者は多かった。錦3丁目をよく利用する者であれば、誰しも必ず知っている店だろうと思う。

メニューはこれだけである。昔は、長崎ちゃんぽん、皿うどん、いなり寿司、ごはんぐらいしか種類はなかった。カレー皿うどん、カレー焼ソバ、キムチちゃんぽんなどが加えられたのは最近のことである。いなり寿司は25年前からあった。いなり寿司を置くのが本場長崎風なのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。とはいえ、いなり寿司はよく売れている。チャンポンができるのを待っている間に食べるのが流儀のようである。
店に入ったおじさんは、いつものように長崎チャンポンを頼んだ。速い、安い、美味いと三拍子揃った料理である。長崎チャンポンは、ひとことで言えば、具だくさんのシーフードヌードルである。よく、長崎チャンポンをラーメンの一種だと思っている人がいるが、これは誤りである。ラーメンが中国料理を日本流に変成させたものであるのに対して、チャンポンは中国料理のオリジナルの姿にかなり近く、日本的変成をあまり受けていない。
ラーメンとチャンポンでは、まず、麺が違う。チャンポンに使われる麺は極太&ストレートでコシがない独特のものである。ラーメンの麺は、かんすい(炭酸カリウム約90%)で小麦粉をこねるが、チャンポンの麺は唐灰汁(とうあくじる:炭酸ナトリウム約90%)でこねる。かんすいでこねたものに比べ、黄色味が薄く、柔らかい食感である。中国福建地方の食文化が源流にあるといわれる。また、ラーメンが生麺を使うのに対し、チャンポンではゆで麺を使う。店に卸した時点で麺は茹でられており、暖めれば食べられる状態になっているのである。
次に調理方法が違う。チャンポンは中華鍋(北京鍋)を主体に使う調理法であり、麺を茹で、スープと合体させた上、具材を乗せるラーメンとは根本的に作り方が異なる。「たなべ」は昔からカウンターしかない店であったから、厨房の様子は丸見えであった。何回も通っているうちに、すっかりチャンポンの作り方を覚えてしまった。その作り方とはこうである。
まず、中華鍋を煙が出るほど熱し、ラードを溶かして豚肉を炒める。肉に火が通ったら、イカ、エビなどを入れ炒める。次に、キャベツ、ニンジン、キクラゲなどを入れ炒める。具材が炒まったら、玉杓子で熱いスープをすくって入れ、塩、胡椒、化学調味料などで味をととのえる。スープは鶏ガラ+豚骨であるといわれている。化学調味料は玉杓子で豪快にすくって入れていた。無化調という言葉からは程遠い正統派中華料理の作り方である。
味付けが終わったら、具材を鍋の片側に寄せ、麺を入れる。麺はスープの中でしばらく煮立たてるが、ゆで麺であるから、さほど時間は必要としない。麺が暖まったら、ドンブリに麺を移し、その上に具材を乗せる。鍋に残ったスープに、ハンペン、長ネギ、モヤシなどを入れ、加熱する。スープが煮立ったら、具材ごとドンブリの上からかけてできあがり。
ラーメンと最も異なるのは味付けである。ラーメンが、あらかじめ味を調製しておいたタレとスープを合体させて味付けを行うのに対し、チャンポンでは中華鍋の中でリアルタイムで味を作る。ラーメンが比較的均質な味にできあがるのに対し、チャンポンでは、ある程度、味のバラツキ、曖昧さが存在することになる。具材から出るダシも、ラーメンより濃厚なはずだから、具材の質によって味がばらつく。つまり、チャンポンの方が、森羅万象の共通原理、"ハイゼンベルグの不確定性原理"に忠実な料理ということができる。
長崎チャンポンの「速い、安い、美味い」は本当である。ラーメンに比べ、はるかに複雑な調理を行っているにもかかわらず、瞬く間にできてしまう。麺を茹でるということが、いかに長い時間を要するものであるかがよく分かる。また、その調理法ゆえに、チャンポンは常にアツアツの状態で供される。ぬるいチャンポンというのは存在しない。真冬でも汗を流しながら、舌先を火傷しながら食べるアツアツのチャンポンが一番美味しいのである。

チャンポンができあがったら、カウンターの上に置いてある紅ショウガを、これでもかというぐらい乗せる。"2005/07/02 豚骨ラーメン とんぱーれ"でも書いたが、九州系ラーメン(厳密にはチャンポンはラーメンではないが)には紅ショウガを大量投入した方が美味い。"紅ショウガを乗せる前の状態"と比べてほしい。
ラードで炒めたてんこ盛りの具材は、コクがあるスープと相まって非常に美味しい。野菜や豚肉、イカ、ハンペンをこれだけ使うのだから、後付のダシ味はかなり効いている。極太のソフトな麺も美味しい。チャンポンの麺はコシがあってはいけない。何しろアツアツだから、一気に食べられず、なかなか量が減らないのも嬉しい。いささか高カロリーに過ぎるが、栄養満点の料理であることは間違いない。腹が減っているときには最高に美味い。
長崎チャンポンのルーツは、長崎市松が枝町の中国料理店、"四海樓(しかいろう)"にさかのぼるといわれている。「四海樓」の創業は明治32年(1899年)というから、すでに100年以上の歴史を持つ老舗である。この「四海樓」の創業者、中国福建省福州出身の陳平順(ちんへいじゅん)氏が長崎チャンポンの考案者ということになっている。
陳平順氏が来日したのは明治25年(1892年)のこと。長崎で一旗揚げようと、こうもり傘一本を携えて中国大陸からやって来たと伝えられている。陳平順氏は明治27~28年の日清戦争時の華僑迫害にもめげず、行商などをしながら資金を蓄え、明治32年に、中華菜館兼旅館「四海樓」を長崎に創業した。
当時、日清戦争が終わり、関係が修復した中国から、多くの若き留学生たちが上海航路で日本にやってくるようになっていた。陳平順氏は彼らの身元引受人になった。自分が長崎へ渡ってくるときに苦労したことや世話好きの性格も手伝って、中国から渡航してくる華僑や留学生の世話を焼いたのである。
陳さんは、食べ盛りの貧乏な留学生のひどい食生活を見かね、どうにかしたいと知恵を絞った末、肉と魚介類と野菜をふんだんに使ったスープ麺を考案した。これが長崎チャンポンのはじまりといわれ、当時は「支那饂飩(しなうどん)」と呼ばれた。安くてボリュームがあり栄養満点のチャンポンは大人気となり、たちまち長崎の中華街にひろまっていった。
中国人の若者たちのみならず、同じように貧乏であった日本人の書生や学生からも、チャンポンは絶大な支持を集めたようである。明治40年(1907年)に発行された、長崎県協賛会篇「長崎県紀要」には次のような記述がみえる。
つまり、大人たちは前代未聞の過剰な濃厚さに眉をひそめたが、書生や学生たちは、チャンポンのコッテリしたアブラっこい味を好んだのである。若者特有の野蛮な味覚は100年前も現代も変わらない。それまでの日本人が知らなかった濃厚でラードたっぷりのくどい味は、若者たちの圧倒的支持を集めたのであった。
チャンポンの語源は、福建語の「吃飯(シャポン/セッポンと発音)」という言葉だといわれている。「ご飯を食べる」という意味である。中華文化圏では、御飯を食べたか食べていないかは重大関心事であり、「ご飯食べたか?」は挨拶代わりに日常的に使われる言葉である。香港では親しくなると、挨拶は広東語で「シクチョーファンメイア?(ごはん、食べたか?)」と言う。誰も「こんにちは」に相当する「レイホゥ(ニイハオ)」という言葉は使わない。香港映画を見ていると、頻出するから嫌でも覚える。北京語では「チーファンラマ?」である。
福建語の「ごはん、食べたか?」に含まれる「吃飯(シャポン/セッポン)」という発音は、挨拶として頻繁に使われたから、長崎人の耳に残ったものと思われる。やがて、「吃飯」は「支那饂飩」と同義語になり、「チャンポン」という料理名になった、というのが現在主に流布しているチャンポンという名前の語源である。そのチャンポンは、色々なものがゴタマゼに入っている様子を表す日本語として定着した。もちろん、チャンポンの具材の多様性に由来している。
現在、長崎市内には百数十軒の中華料理店があり、ほとんどすべての店でチャンポンが食べられるという。チャンポンを供する店の数はさらに多く、長崎市内で千軒を超えるといわれている。そうしたものと比べて、「たなべ」の長崎チャンポンがどの程度、本格派なのかは分からないが、作り方などを見ていると、けっこうオリジナルに忠実なチャンポンのようにみえる。「たなべ」のチャンポンでも充分美味しいのだから、本場長崎のチャンポンはさぞかし美味であることだろう。いつの日か、長崎を訪れたら、チャンポンの食べ比べをしてみたいと思う。
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長崎チャンポン たなべ
名古屋市中区錦3-18-9 錦さかいビル1F [地図]
TEL: 052-951-6451
営業時間: 11:00~26:00
定休日: 日曜

錦3丁目は、名古屋の夜の社交スポットなどと呼ばれ、アルコールを飲んで遊ぶことに関しては万全の地域であり、子供の教育上よろしくない、ありとあらゆる種類の店が並んでいる。アルコールを提供する店だけでも、バー、スナック、クラブ、パブ、キャバクラ、居酒屋、小料理屋、割烹、料亭など、分類すること自体が無意味なほど雑多な店がひしめきあっている。名古屋の九龍砦的存在であり、聞いたこともないような雑居ビルでも、タクシーに乗り、名前を出せば必ずや連れて行ってくれるという伏魔殿である。
おじさんは、350mlの缶ビールが飲み干せない完璧な下戸であるが、それでも会社員時代は時々錦3丁目に出かけた。アルコールを受け付けない体質ではあるが、酒を飲んで馬鹿騒ぎをするのは好きなのである。しかし、会社を辞めてからは、夜、錦3丁目に出かけることはほとんどなくなってしまった。そのかわり、昼間に訪れることが増えた。錦3丁目には、アルコールばかりでなく、色々な美味しい食べ物を売る店が集まっているのだ。
錦3丁目の料理店は夜だけの店も多いが、昼間から営業している店も少なくない。名古屋コーチン料理、味噌煮込、あんかけスパゲッティ、中華料理など、様々な美味しいものが日中から食べられる。麺類も例外ではなく、ラーメン、うどん、きしめんなど何でもある。全国各地の有名ラーメン屋7店が集まるフードテーマパーク、"名古屋麺屋横丁"もある。
そうした中、麺類店としては、おじさんが最も愛好しているのが、本格派長崎チャンポンの店、"たなべ"である。住所は"名古屋市中区錦3-18-9"、あんかけスパゲッティの老舗、「ヨコイ」の斜め向かいである。おじさんは、このあたりに来ると、「ヨコイ」であんかけスパゲッティを食べるか、「たなべ」で長崎チャンポンを食べるか、いつも迷う。迷った末、2:8の割合で長崎チャンポンを食べる方が多い。あんかけスパゲッティは他の場所でも食べられるが、美味い長崎チャンポンは「たなべ」でしか食べられないからである。
「たなべ」は間口2間ほどの小さな店であるが、いつもよく繁盛している。おじさんが社会人になった1980年には、すでにこの場所にあったから、少なくとも25年は営業していることになる。ビルが建て替えられる前は、もっと汚く、もっと美味そうな小さな店であった。この25年間、味はまったく変わらず、名古屋では最も美味しい長崎チャンポンを食べさせてくれる店だと思う。
「たなべ」を訪れたのは昼間が多かったが、夜もよく行った。飲んだ後、小腹が空いたときなど、ラーメンを食べるのは誰しもやることと思うが、場所が場所だけに、「たなべ」の立地は抜群であった。深夜2時まで営業しているから、飲んだ後の店としては最適だったのである。食べ物をほとんど摂らず、飲む一方のアル中でも、たなべの長崎チャンポンは好物という者は多かった。錦3丁目をよく利用する者であれば、誰しも必ず知っている店だろうと思う。

メニューはこれだけである。昔は、長崎ちゃんぽん、皿うどん、いなり寿司、ごはんぐらいしか種類はなかった。カレー皿うどん、カレー焼ソバ、キムチちゃんぽんなどが加えられたのは最近のことである。いなり寿司は25年前からあった。いなり寿司を置くのが本場長崎風なのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。とはいえ、いなり寿司はよく売れている。チャンポンができるのを待っている間に食べるのが流儀のようである。
店に入ったおじさんは、いつものように長崎チャンポンを頼んだ。速い、安い、美味いと三拍子揃った料理である。長崎チャンポンは、ひとことで言えば、具だくさんのシーフードヌードルである。よく、長崎チャンポンをラーメンの一種だと思っている人がいるが、これは誤りである。ラーメンが中国料理を日本流に変成させたものであるのに対して、チャンポンは中国料理のオリジナルの姿にかなり近く、日本的変成をあまり受けていない。
ラーメンとチャンポンでは、まず、麺が違う。チャンポンに使われる麺は極太&ストレートでコシがない独特のものである。ラーメンの麺は、かんすい(炭酸カリウム約90%)で小麦粉をこねるが、チャンポンの麺は唐灰汁(とうあくじる:炭酸ナトリウム約90%)でこねる。かんすいでこねたものに比べ、黄色味が薄く、柔らかい食感である。中国福建地方の食文化が源流にあるといわれる。また、ラーメンが生麺を使うのに対し、チャンポンではゆで麺を使う。店に卸した時点で麺は茹でられており、暖めれば食べられる状態になっているのである。
次に調理方法が違う。チャンポンは中華鍋(北京鍋)を主体に使う調理法であり、麺を茹で、スープと合体させた上、具材を乗せるラーメンとは根本的に作り方が異なる。「たなべ」は昔からカウンターしかない店であったから、厨房の様子は丸見えであった。何回も通っているうちに、すっかりチャンポンの作り方を覚えてしまった。その作り方とはこうである。
まず、中華鍋を煙が出るほど熱し、ラードを溶かして豚肉を炒める。肉に火が通ったら、イカ、エビなどを入れ炒める。次に、キャベツ、ニンジン、キクラゲなどを入れ炒める。具材が炒まったら、玉杓子で熱いスープをすくって入れ、塩、胡椒、化学調味料などで味をととのえる。スープは鶏ガラ+豚骨であるといわれている。化学調味料は玉杓子で豪快にすくって入れていた。無化調という言葉からは程遠い正統派中華料理の作り方である。
味付けが終わったら、具材を鍋の片側に寄せ、麺を入れる。麺はスープの中でしばらく煮立たてるが、ゆで麺であるから、さほど時間は必要としない。麺が暖まったら、ドンブリに麺を移し、その上に具材を乗せる。鍋に残ったスープに、ハンペン、長ネギ、モヤシなどを入れ、加熱する。スープが煮立ったら、具材ごとドンブリの上からかけてできあがり。
ラーメンと最も異なるのは味付けである。ラーメンが、あらかじめ味を調製しておいたタレとスープを合体させて味付けを行うのに対し、チャンポンでは中華鍋の中でリアルタイムで味を作る。ラーメンが比較的均質な味にできあがるのに対し、チャンポンでは、ある程度、味のバラツキ、曖昧さが存在することになる。具材から出るダシも、ラーメンより濃厚なはずだから、具材の質によって味がばらつく。つまり、チャンポンの方が、森羅万象の共通原理、"ハイゼンベルグの不確定性原理"に忠実な料理ということができる。
長崎チャンポンの「速い、安い、美味い」は本当である。ラーメンに比べ、はるかに複雑な調理を行っているにもかかわらず、瞬く間にできてしまう。麺を茹でるということが、いかに長い時間を要するものであるかがよく分かる。また、その調理法ゆえに、チャンポンは常にアツアツの状態で供される。ぬるいチャンポンというのは存在しない。真冬でも汗を流しながら、舌先を火傷しながら食べるアツアツのチャンポンが一番美味しいのである。

チャンポンができあがったら、カウンターの上に置いてある紅ショウガを、これでもかというぐらい乗せる。"2005/07/02 豚骨ラーメン とんぱーれ"でも書いたが、九州系ラーメン(厳密にはチャンポンはラーメンではないが)には紅ショウガを大量投入した方が美味い。"紅ショウガを乗せる前の状態"と比べてほしい。
ラードで炒めたてんこ盛りの具材は、コクがあるスープと相まって非常に美味しい。野菜や豚肉、イカ、ハンペンをこれだけ使うのだから、後付のダシ味はかなり効いている。極太のソフトな麺も美味しい。チャンポンの麺はコシがあってはいけない。何しろアツアツだから、一気に食べられず、なかなか量が減らないのも嬉しい。いささか高カロリーに過ぎるが、栄養満点の料理であることは間違いない。腹が減っているときには最高に美味い。
長崎チャンポンのルーツは、長崎市松が枝町の中国料理店、"四海樓(しかいろう)"にさかのぼるといわれている。「四海樓」の創業は明治32年(1899年)というから、すでに100年以上の歴史を持つ老舗である。この「四海樓」の創業者、中国福建省福州出身の陳平順(ちんへいじゅん)氏が長崎チャンポンの考案者ということになっている。
陳平順氏が来日したのは明治25年(1892年)のこと。長崎で一旗揚げようと、こうもり傘一本を携えて中国大陸からやって来たと伝えられている。陳平順氏は明治27~28年の日清戦争時の華僑迫害にもめげず、行商などをしながら資金を蓄え、明治32年に、中華菜館兼旅館「四海樓」を長崎に創業した。
当時、日清戦争が終わり、関係が修復した中国から、多くの若き留学生たちが上海航路で日本にやってくるようになっていた。陳平順氏は彼らの身元引受人になった。自分が長崎へ渡ってくるときに苦労したことや世話好きの性格も手伝って、中国から渡航してくる華僑や留学生の世話を焼いたのである。
陳さんは、食べ盛りの貧乏な留学生のひどい食生活を見かね、どうにかしたいと知恵を絞った末、肉と魚介類と野菜をふんだんに使ったスープ麺を考案した。これが長崎チャンポンのはじまりといわれ、当時は「支那饂飩(しなうどん)」と呼ばれた。安くてボリュームがあり栄養満点のチャンポンは大人気となり、たちまち長崎の中華街にひろまっていった。
中国人の若者たちのみならず、同じように貧乏であった日本人の書生や学生からも、チャンポンは絶大な支持を集めたようである。明治40年(1907年)に発行された、長崎県協賛会篇「長崎県紀要」には次のような記述がみえる。
チャンポン(書生の好物)
今は支那学生の各地に入込めるが故、珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩(うどん)に牛豚鶏肉葱等を雑ゆ故に、はなはだ濃厚に過ぐれば慣れざるものは厭味を感ずれども、書生は概してこれを好めり。
つまり、大人たちは前代未聞の過剰な濃厚さに眉をひそめたが、書生や学生たちは、チャンポンのコッテリしたアブラっこい味を好んだのである。若者特有の野蛮な味覚は100年前も現代も変わらない。それまでの日本人が知らなかった濃厚でラードたっぷりのくどい味は、若者たちの圧倒的支持を集めたのであった。
チャンポンの語源は、福建語の「吃飯(シャポン/セッポンと発音)」という言葉だといわれている。「ご飯を食べる」という意味である。中華文化圏では、御飯を食べたか食べていないかは重大関心事であり、「ご飯食べたか?」は挨拶代わりに日常的に使われる言葉である。香港では親しくなると、挨拶は広東語で「シクチョーファンメイア?(ごはん、食べたか?)」と言う。誰も「こんにちは」に相当する「レイホゥ(ニイハオ)」という言葉は使わない。香港映画を見ていると、頻出するから嫌でも覚える。北京語では「チーファンラマ?」である。
福建語の「ごはん、食べたか?」に含まれる「吃飯(シャポン/セッポン)」という発音は、挨拶として頻繁に使われたから、長崎人の耳に残ったものと思われる。やがて、「吃飯」は「支那饂飩」と同義語になり、「チャンポン」という料理名になった、というのが現在主に流布しているチャンポンという名前の語源である。そのチャンポンは、色々なものがゴタマゼに入っている様子を表す日本語として定着した。もちろん、チャンポンの具材の多様性に由来している。
現在、長崎市内には百数十軒の中華料理店があり、ほとんどすべての店でチャンポンが食べられるという。チャンポンを供する店の数はさらに多く、長崎市内で千軒を超えるといわれている。そうしたものと比べて、「たなべ」の長崎チャンポンがどの程度、本格派なのかは分からないが、作り方などを見ていると、けっこうオリジナルに忠実なチャンポンのようにみえる。「たなべ」のチャンポンでも充分美味しいのだから、本場長崎のチャンポンはさぞかし美味であることだろう。いつの日か、長崎を訪れたら、チャンポンの食べ比べをしてみたいと思う。
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長崎チャンポン たなべ
名古屋市中区錦3-18-9 錦さかいビル1F [地図]
TEL: 052-951-6451
営業時間: 11:00~26:00
定休日: 日曜
by xylocopal | 2005-07-26 15:58 | Ramen






